<知っていなきゃヤバイんじゃないの?&学び直しシリーズ第2弾>
小倉百人一首について学び直していこうと思います。
「ちはやふる」とかいう!漫画が流行ったらしいのですが、(漫画・アニメーションに関しては無知なのです)そんな事とは全く関係なく!百人一首の本を買いました。
参考にしたのはこの本です。
ざっと読んでみると、そうそうこんな歌あったよね、覚えてるわ~という歌もわずかながらありました。
子供の頃お盆などで従妹たちが集まると「かるた」をよくやっていたのを思い出しました。けれど100もの歌をおぼえていたわけではなく、ただ文字を追っていただけだったような気がします。
「さあ、歌を100個おぼえるぞー」と頑張った覚えもないし、もともと全部知っていたわけではないのですね。
どのようにして作られたのか 著者は誰なのでしょうか
小倉(おぐら)百人一首の成立
簡単にいえば、100人の歌人が詠んだ歌がそれぞれ一首ずつ載っている秀歌集のこと。
もちろん「さあ、今から秀歌集を作りますから皆さん歌を詠んでくださいね~~、締め切りは来週ですよー」と言ったわけではなく、過去600年間の歌から一人一首えらび、年代順に配列したものです。
誰が選んだのか。
藤原定家(ふじわらのさだいえ)というお方。鎌倉時代の歌人です。
何故選ぼうと思ったのか。
定家の息子の岳父(義父)にあたる宇都宮頼綱(うつのみやよりつな)が京都の小倉山・嵐山などで知られる景勝地に建てた山荘のために百人一首を作りました。

その山荘で「かるた大会」をしたかったんだろうね。

「かるた大会」なんてしないわよ!!
山荘の襖に貼るための色紙として選んだのよ
風流ですね~ 室内装飾のために襖や屏風に和歌をしたためた色紙を貼っていたなんて。
どんな歌人の歌が載っているんでしょうか
第1番 第38代天皇 天智天皇(飛鳥時代)から、第100番 第84代天皇 順徳院まで約600年にわたる間の歌人の歌が集められています。
天皇は8名
女性は21名
僧侶は15名 などとなっています
どんな内容の歌なのか。
一番多いのは「恋の歌」ですね。
特に平安時代は殿方が女性のもとを訪れ、世が明けないうちに帰っていくといういわゆる「通い婚」の時代。
艶めかしい歌もありますが、恨みがましい歌も多く少々恐ろしや。
次に多いのが四季を詠んだ歌です。なかでも「秋」がとても多い。
今も昔も秋って何となく切なく哀しくなるものなんですね。
ちなみに学生時代、「通い婚がいいよね」としきりに言っていた友人がいたのを思い出しました。そのころは私も若かったので「いやよ通い婚なんて、ずっと一緒にいたいじゃないの」と思っていましたが今なら私も「通い婚」賛成派です!
気にいった歌はこんな歌です
私が気にいった歌をいくつか紹介させてもらうと、
天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも
7番 安倍仲麿
これやこの 行くも帰るも 分かれては 知るも知らぬも 逢坂の関
10番 蝉丸
恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか
41番 壬生忠見
ほかたくさん!
この「小倉百人一首」が、どのようにして「競技かるた」になっていったのかは、また機会があれば調べてみようと思います。
では今日も1首おぼえなきゃ!