「マキシマイザー」と「サティスファイサー」という概念を知ってから私は変わったという話

日記のようなもの

余裕あるシニアライフを送るため、決めた事。

こんな年齢⇒(60歳)になるまでいろんな選択をしてきました。

就職、結婚、家選び、様々な買い物など

生きるってことは選択と決断の繰り返しだ。その結果今の私が形作られている!

(あ~あ恐ろし。たいしたものにはならなかったが、まあ世間にそれほど迷惑はかけずに生きていると思っている)

現代は選択肢が多すぎます。多いということは良い面もあればマイナスの面もありますよね。

特にモノにおいてはデザイン・機能性・価格など様々でもう私の頭はついていけない。

「マキシマイザー」と「サティスファイサー」という概念

数年前「マキシマイザー」と「サティスファイサー」という概念を知りました。

ひらたく言えば

  • マキシマイザー➡多くの選択肢を並べその中から常に最高のものを選び取ろうとする人
  • サティスファイサー➡ある程度のライン、自分にとって「そこそこ」の基準で選択する人

私は今まで「マキシマイザー」だったように思います。

たとえば、洋服を選ぶ際一度で決まった試しはない。

一度というのは「一度のお出かけで」という意味だ。「今日はお買い物の日」と決め、我が家からデパート等の立ち並ぶ街まで出かけて行くという行為。

若いころは買い物のためだけによく出かけていたなあ!今じゃ考えられない。

お店を何件も回り、何度も試着して、やっぱりあのブランドにしよう!でもこっちのほうが安い!などアレコレ、いろいろ迷った挙句手ぶらで家へ戻ってくる。なんてこともよくありました。

だって最高の商品を選びたいから、後悔したくないからという意識がものすごくはたらいていたように思います。

そういう人は永遠に満足できないそうだ。上質のセーターを購入した帰り道向こうから歩いてくる人の着ているセーターを見て「あっちのほうが良かったかもしれない」と永遠に迷い満足することはない。

又、買ったものが実際にどの程度の商品なのか?どんな口コミがあるのか?などすでに購入しているにもかかわらず、ネットで検索。また悩んでいる。

一方サティスファイサーは、一定レベルの商品であれば迷わず購入しその後も一切迷う事もない。

ああ~なんと潔い。

以前お蕎麦屋さんに入った時、注文を決めたあとまだ「お品書き」を延々とみつめている友人がいました。

今度来店した時のためにメニューを見ているのか?

それとも今注文したものより良いものがないか?

しらべているのか?

この友人は私より「上だ」と感じた瞬間でした

多分注文したものが最高のものであったか!推敲していたのでしょう。

満足度、幸福度は断然サティスファイサーのほうが上です。

この概念を知ってから私は自分を恥じましたた。なんだか卑しい気がしたのです。

最高のものなんてこの世にあり得ない。基準によって変わっていく。

サティスファイサーは自分の中にちゃんとした軸を持っているという事。

決断と実行において迷いのない人を見ると私は尊敬します。

そこでどうしてあの頃はマキシマイザーだったのか?と考えてみたら、、、

答えはカンタン「余裕」がなかったから。

経済的にも精神的にも。

これだけの予算の中で買わないといけない。だから失敗は許されないのだ!!

という強迫観念。

もう今はないけどね、そこそこでいいのよ。

nobu
nobu

結婚に関してはどうだったのかな~?最高の相手を選ぶことができたのかい?

masa8
masa8

結婚に関しては、サティスファイサーだったわ。そこそこよ、そこそこ。

意外と賢い私。最高の相手なんているわきゃない!達観しておりました。


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